裕之 安井

2020年7月31日2 分

2025 表現者

最終更新: 2021年10月28日

図面は全て書いてしまった。

なので、この数日、CADを動かしていない。

パソコンは毎日起動させるし、画面を見ない日はない。

でもCADは動かしていない。

ある保育園の顧問をボランティアで始めて2年が経つ。

保育園の、主に建築の相談事(メンテナンス)を受け持っている。

その事に、ここ数日追われる。

肝心の設計の方は、CADを動かしてないからといって、

進めてないわけではない。

言葉を変えれば、まだ図面をCAD化できない状態なのである。

具体的に言えば、

トレーシングペーパーにいくつか案を考えていく。

20も30も案を作るわけでない。

思いついては書いて、しばらく置く。

その繰り返し。

1日置く場合もあるし、数日見向きもしない時もある。

高揚感を抱くプランが出来たとする。

これは面白いと、ひとり興奮する。

この高揚感は、1時間も続かないだろう。

ただ、『これで出来た、今日の仕事は止めよう』ぐらいの気持ちにはなり

その場を離れる。

次の日、そのプランを覗くと、高揚感はない。

しばらく見つめて、思いつけば書く。

無理なら離れる。

その繰り返し。

だからまだCADへ辿り着かない。

非効率的だと思う。

手を動かして考える時間よりも

動かしていない、沈黙の時間の方が長い。

その沈黙が、表現者には必要だと思っている。

最後に、ある言葉に出会ったので、紹介したい。

森脇智美さんのブログに書かれた言葉だ。

この言葉を読み、自分のことだと思った。

『 表現する者 』


 
脆く崩れそうなくらい繊細で
 
自身を信じる力と不安の領域を行き来する。
 
何かを表現する人は
 
表現したいという気持ちは無く
 
ただひたすらに目の前の自分の心と向き合い
 
ひたすらに進んでいく。
 
うんと広い範囲を見つめている時もあれば
 
うんと狭い針の先くらいの点を見つめている時もある。
 
視点が行き来する。
 
精神が震え続け止まることはない。
 
良い方向へも悪い方向へも
 
ほんのかすかな出来事であっても
 
心を保つことに時間をかける。
 
そのかける時間が大切だと思う。

(2020.7.25 森脇智美日記より)

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