図面は全て書いてしまった。
なので、この数日、CADを動かしていない。
パソコンは毎日起動させるし、画面を見ない日はない。
でもCADは動かしていない。
ある保育園の顧問をボランティアで始めて2年が経つ。
保育園の、主に建築の相談事(メンテナンス)を受け持っている。
その事に、ここ数日追われる。
肝心の設計の方は、CADを動かしてないからといって、
進めてないわけではない。
言葉を変えれば、まだ図面をCAD化できない状態なのである。
具体的に言えば、
トレーシングペーパーにいくつか案を考えていく。
20も30も案を作るわけでない。
思いついては書いて、しばらく置く。
その繰り返し。
1日置く場合もあるし、数日見向きもしない時もある。
高揚感を抱くプランが出来たとする。
これは面白いと、ひとり興奮する。
この高揚感は、1時間も続かないだろう。
ただ、『これで出来た、今日の仕事は止めよう』ぐらいの気持ちにはなり
その場を離れる。
次の日、そのプランを覗くと、高揚感はない。
しばらく見つめて、思いつけば書く。
無理なら離れる。
その繰り返し。
だからまだCADへ辿り着かない。
非効率的だと思う。
手を動かして考える時間よりも
動かしていない、沈黙の時間の方が長い。
その沈黙が、表現者には必要だと思っている。
最後に、ある言葉に出会ったので、紹介したい。
森脇智美さんのブログに書かれた言葉だ。
この言葉を読み、自分のことだと思った。
『 表現する者 』
脆く崩れそうなくらい繊細で 自身を信じる力と不安の領域を行き来する。 何かを表現する人は 表現したいという気持ちは無く ただひたすらに目の前の自分の心と向き合い ひたすらに進んでいく。 うんと広い範囲を見つめている時もあれば うんと狭い針の先くらいの点を見つめている時もある。 視点が行き来する。 精神が震え続け止まることはない。 良い方向へも悪い方向へも ほんのかすかな出来事であっても 心を保つことに時間をかける。 そのかける時間が大切だと思う。
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