料理を始めて数か月が経つ。
今もお昼ご飯は、自分で作るようになった。
学生の時を除けば、
初めて料理を作る喜びを知った。
ただし、「自分が食べる分」の喜びである。
というのも、作ってみて気付いた事がある。
子どもへ作ってあげようとすると、必ず失敗をする。
(妻には、お昼くらい好きなものを食べさせてと断られ、
カップラーメンを食べるから要らないと言われ続け、結局作っていない。)
他人へ作るとプレッシャーが掛かるのだろうか、
べちゃくちゃの炒飯ができた。
自分だけ食べるのなら、我慢して食べれるけど、
他人には食べさせたくない、となる。
今まで、失敗の連続だった。
それでも何で失敗するのか、
どんな状態の材料が揃えば、失敗しなくなるのか、
考えながら、同じメニューを繰り返し作ると
見えてくるものがあった。
今では、美味しい炒飯が作れるようになった。
こう言うと「食べたい」と言ってくれる方もいるが、
他人への壁が克服できていない。
まだ見えない恐怖と闘っている。
そう思うと、いつも家族へご飯を作る人は凄いと思う。
自分以外へ食べて貰う料理を、毎日提供しているからだ。
コロナ禍にて、僕は新しい事(料理)を始めた。
あらためて作る喜びと、それを食べる喜びを感じている。
ちなみにキッチンに対してこだわりが生まれるかと思ったけど、
残念ながら、特にない。
しいて言えば、広いステンレスの板があれば十分、くらいである。
※写真:アスフォデロの庭より 撮影:益永研二
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