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執筆者の写真裕之 安井

2046 ふりかえり序



事務所を開設して10年が経とうとしています。


独立した頃は、まさか10年続くなんて思わなくて、

何とかこの仕事を続けれたらなーと楽観してました。


全てを振り返って書くことは出来ないけれど、

自分自身の確認の為、何回かに亘って書いていこうと思います。


まずは原点となる出来事から。

広島で修行時代の話です。


当時、アトリエ系設計事務所は、社会保障もないのが当たり前の時代でした。

僕はそんなの承知の上で、ある建築家に頼み込んで働かせて頂きました。

僕にとっては師匠になる建築家で、

その時に学んだ建築家の姿勢は、大きな影響を受け、勝手に受け継いでいます。

その話はまたにします。


事情があり、妻と結婚する事になりました。

その時に自分が思った事は、建築の仕事を辞める でした。


その上で新しい就職先を見つけたい、妻のご両親を安心させて認めて頂きたい。

そんな思いで、今まで一度も就職の話をした事がない

大学の先生へ相談へ行きました。


それが、宮崎先生です。


宮崎先生は、僕の話を一通り聞いて、

「頭を冷やして、もう一度明日来い。」と言われました。


若かった自分は、話をかわされたと思い激高し、

「二度とくるか、」とつぶやきその場を後にしました。


翌日、頭の冷えた自分は、もう一度宮崎先生の研究室へ行きます。

その時、ある話をして下さいました。


先生は、大林組に長らく務めた方で、

お前みたいな若いやつらを沢山見てきたと話し始めます。


『自分は画家になりたいんです。でも絵が売れないと生活できないので

 大林組で働きながら、絵を描きます。』という奴をたくさん見てきたと。


「それで安井、そいつらどうなったと思う?」

答える事ができませんでした。


「みんな画家なんて止めて、別の所で働いてるよ」


「お前は設計を続けないとダメだ。どんな所でも良い。

 設計の仕事につけ」


その時の言葉が無ければ、10年前の独立はありえません。

そして、続ける事の大切さや意味を今も忘れず、身体に入れてます。


宮崎先生ですが、専門は地盤で

独立後も何度も助けて頂きました。


幾つかの人生の岐路に 宮崎先生がいます。

若い頃の俺に似てると言って

ゼミ生でも無いのに可愛がってもらってます。


その先生の愛弟子と住宅を作ってます。

是非、宮崎先生に餅撒きして欲しいです。



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