両親の介護(将来性)、ハラスメントについて
考える機会をえた。
親の衰えとどう向き合うか。
向き合うんじゃダメで、同じ方向を見る。
(親が)どんな風に育ち、どんな家族を作り、
どんなことを子どもに期待し
何を喜び、何に苦しんできたのか、
どうやって老い、どうやって衰え、死ぬ「つもり」なのか
その知るを【寄り添う】と言う。
(毒親介護 石川結貴 著)
(この文章はどこからの引用か忘れたけど、著書を調べた経緯でメモした言葉)
人間は「自分がほんとうはどんな人間なのか」を知って欲しいわけじゃありません。
「『こんな人だと思われたい』と願っている想像上の人物」として遇して欲しいんです。
(どこからの引用か不明)
嫌いな親を介護できるか?という帯文を「歴史の本棚」加藤陽子著の
本から見つけ、取り寄せた。
誤解があるといけないので書くと
僕の両親は毒親ではない。
息子のしている建築の仕事内容なんて知らないし
ましてや将来を決める際もほとんど口出ししなかった。
(唯一言われたのは、独立後、ある社団法人の求人に応募したら?と言われたくらい)
僕も必要以上の話はしないし、
親が喜びそうな話は、隣近所に速攻で広まるので
絶対しない。
島大との関わりも言ってない。
毒親でなくても、実の子と親の関係になると
どうしても感情が先に走る。
例えば、名前を間違える。
妹の名前を呼び、長女に話しかけていた時
動揺どころか、感情が先に出て否定してしまう。
そんな感じで
実の親子での介護なんて
血の海を見るんじゃないかと、震えている。
血の海を見たくなくて、毒親介護の本を手に取った。
介護離職しないノウハウも書かれているから。
同じようにハラスメントについても考える。
自分も多少なり経験したなかで言えば
基本的に、ハラスメントする人は、相手に興味がない。
僕の建築を知ろうとしないし、
知らないのに、お前の建築はダメだと否定する。
(設計事務所の設計はダメだ が多いけど)
僕が自分の考えを言えば、
逆説の接続詞を使って否定し
こちらを指導する。
(一度、この人は何回逆説の接続詞を使うか数えた、会話のほとんどだった)
複数人のエピソードだけど、
ある一定の年代以上に存在することが
個人調査で分かってきた。
では、そのある年代以上の人はどういう時代を生きてきたのか?
それが、本ページの冒頭の文章に繋がる。
ハラスメントをする人に「寄り添う」なんてできない、
そういう気持ちが今は強い。
でも、結論は出てないけど、
拒絶した自分の考えをほぐし
考えさせられた次の文章を記して
本ブログを終わりにしたい。
この文章はある小説からの引用で
ある方から教えて頂いた。
心に沁みて、大事な手帳に早速張って何度も読み返している。
自殺希望者へ語り掛ける救助者の言葉を引用する。
「他人が薄っぺらく見えてしまうのは、表か裏か、二つの面しか見ていないからよ。
あなたには中間が見えていない。他人の中の悪い面を見たら、それがすべてになってしまう。
自分が傷つけられることを恐れて攻撃してしまう。でもね、人間は白でも黒でもない、
灰色の多面体なのよ。人間だけじゃない。すべての物事には中間があるの。不安定で嫌かも
知れないけど見つめなさい。いい人でもあり悪い人でもあるあなたの友達を。
やさしくて意地悪な、あたな自身を」
「あとは慣れるだけよ。中途半端な安心に、中途半端な善意に、中途半端な悪意に。
人の社会とはそういうものよ」
「うまくいかないと思ったら、今のあなたに戻って。今のままでもあなたはいいの。
これからは、小さな幸せを一つずつ乗せていくだけ。さあ、今から始めましょう」
(幽霊人命救助隊 高野和明著)
前回書いた「2081 そっとしておく親」とも通じる話だと
思っている。
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